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コラム

連載:レポート:イベント/勉強会

「おてらでトーク 子ども期の逆境的体験とその影響を考える」開催レポート 後編

2024.05.01

連載:レポート:イベント/勉強会

開催したイベントや勉強会のレポートです。

2024年2月18日、2回目となる「おてらでトーク」を建仁寺の禅居庵にて開催しました。今回のテーマは「子ども期の逆境的体験とその影響を考える」。レポート後編では、架空のモデルケースを題材に行ったパネルトークと、その後のグループディスカッションの模様についてお伝えします。

この記事の前編はこちら

パネルトーク「依存症の母を持つ子ども」&グループディスカッション

現在と10年前の2枚のケースシートから支援のあり方を考える

今回のパネルトークでは、2枚の架空のケースシートを用意しました。依存症の母を持ち、瀉血(針を指して血を抜く)で緊急搬送された現在ののぞみさん(20歳)と、10年前ののぞみさん(10歳)のケースを紹介しています。

ケースシート(PDF)

池田 これは実際のケースではなく、私たちが支援現場で出会うかもしれない架空のケースになります。先ほどの三谷さんの講演を拝聴して、子ども期の逆境的体験はその後の人生に大きな大きな影響を及ぼすのだと改めて感じました。医師として目の前の方に対して「何もできないな」と感じることもありますが、三谷さんのお話にあったPCEの視点を用いれば、現在という「点」ではなく、過去からつながる「線」の支援ができるのではないでしょうか。

今回は、「もしも、のぞみさんの子ども時代である10年前にこのご家庭に出会っていたらどんな関わり方ができたのか」という視点でも話し合いをしたいと思い、10年前のケースも作りました。

2枚のケースシートをもとに、3名のゲストの方に現在ののぞみさんと10年前ののぞみさんに対する関わり方それぞれについて、ご意見を伺いました。

まず最初にお話いただいたのは、認定NPO法人happiness(ハピネス)の理事長である宇野明香さんです。ご自身もACEサバイバーである宇野さんは、2016年から京都市内でこども食堂(ハピネスこども食堂)を運営されています。2022年には、家で安全に過ごすことのできない少女のための緊急宿泊支援のシェルター「ハピネスハウス」を開設されました。

池田 宇野さんの場合、現在ののぞみさんと10年前ののぞみさんのどちらにも会う可能性があると思いますが、いかがでしょうか。

宇野 ハピネスではこども食堂と、10代から20代の女性のシェルター兼シェアハウスを運営しているので、10年前の子ども時代ののぞみさんと会うこともできますし、現在ののぞみさんと会う可能性もあります。こども食堂では10歳ののぞみさんのような女の子と出会っていて、「家に帰りたくない」と口にすることが何度もありましたね。もし、子ども食堂で10年前ののぞみさんに出会っていたら、「お母さんが暴れて……」みたいな話を気軽にしてくれていたのではないかと思います。とはいえ、私たちが家の中にずかずかと入っていけるかというと、おそらくそれは難しくて。10歳ののぞみさんの話を聞きながら、ずっと気持ちに寄り添っていくということしかできなかったんじゃないかと想像しています。

ただ、ここから現在ののぞみさんになるまでの間に、タイミングが合って、彼女自身が望むのであれば、何か支援をすることはできるんじゃないかとも思います。例えば、家に帰りたくないと言うのであれば、「どうして家に帰りたくないのか」をじっくりと聞いて、場合によっては保護するかもしれません。10年後ののぞみさんの状態に陥るまでに、何度か接触して、もう少し寄り添ってあげられたのではないでしょうか。

続いては、木津川ダルクと奈良ダルクの代表である加藤武士さんにご意見を伺いました。ダルクとは、薬物依存症の方の回復施設です。加藤さんには以前にもKYOTO SCOPEのケース勉強会にご登壇いただいています。

池田 加藤さんは、子どもと出会う機会はあまりないかもしれませんが、20歳ののぞみさんやお母さんには出会うことはあるのではないかと思います。いかがでしょうか?

加藤 そうですね。精神科の病院に入院されて、リストカットやオーバードーズもあるので、20歳の時点でダルクが関わっていくことは十分にあるかなと思います。ダルクを利用されている方のなかには、ACEを経験している人が多いです。2009年に東京ダルクが行った全国の利用者に対する調査では、男性で7割弱、女性で約7割強の人が中学生の頃までに親からの暴力や性被害を受けていたという結果が出ています。これまではなかなかその事実に対して対応ができていなかったのですが、ようやく目が向けられてきました。先日、薬物依存症の当事者が集まる大規模なイベントがあったのですが、僕も含めて、子どもを連れてこられている方が何人かいらっしゃったんですね。家族そのものを見て、サポートしていく。ようやくそういうコミュニティになりつつあるのかなと思っています。ですから、今は10歳ののぞみさんに関わるというケースはあり得ますね。10年前のお母さんにアルコールの問題が出てきたときに関わっていれば、のぞみさんはもう少し違った人生を歩めたのかな、というふうに両方のケースを読んで感じました。

次に、大阪大学人間科学研究科の教授である村上靖彦さんにお話を伺いました。村上さんは『ケアとは何か』『ヤングケアラーとは誰か』など多数の書籍を出版されています。直近では『客観性の落とし穴』が新書大賞2024の3位に選ばれました。

池田 村上さんは社会をケアの立場から見つめてこられていますよね。今回ののぞみさんのケースについて、どう思われますか?

村上 僕はこの10年くらい、大阪市西成区という社会的困窮が厳しいと言われている地域で子育て支援のフィールドワークをしていました。西成や、他にも人種差別の現場を見るようになって思うのは、こういった「お母さんがアルコール依存症で子どもがオーバードーズ」というようなケースは、問題行動というよりはサバイブする力の表れではないかということです。自身が置かれている大変困難な状況のなかで、なんとかその日その日を生きていく力が表れています。これは僕が普段お会いする人たちから教えていただいたことです。また、このケースでは、ポジティブな力もたくさんありますね。例えば、お兄ちゃんが救急車を呼んでくれるようなケアフルな人物であったり、のぞみさん自身も音楽で表現する力を持っていたり。こういったポジティブな力とともに、大変な状況をサバイブしているというふうに思います。

村上 ヤングケアラーの取材を通して、意外だったことがあります。最初は「西成の子どもたちってすごく大変だろうな」と思って聞き始めたのですが、そうじゃなかったんですよね。20歳を超えた人たちの聞き取りをしていくと、貧困家庭で育って、教育機会にも恵まれていなくて、多くはないですが虐待されていた人たちもいる。だけど皆、元気なんです。他の地域でヤングケアラーと呼ばれている人たちの方がしんどそうに見えるんですよね。この違いは何なのかなと考えたときに、先ほどの三谷さんのお話のように、子ども時代に頼れる大人の存在があったかどうかが大きいと思うようになりました。西成の場合は、幼少期から家庭以外の居場所がすごく発達しているので、子どもたちに自分の居場所があって、そこで大人が見守ってくれる環境なんです。客観的にはとても大変な状況にあるはずなんですが、居場所のおかげでなんとかなっています。一方、経済的には恵まれていて、学力も高くて大学に通っていても、ヤングケアラーの困難を誰にも語ることなく、1人でしんどさを抱えている人もいる。こういうケースは、20歳を過ぎてもすごく大変な状況にあるように見えます。同じ逆境でも、誰かと一緒にいる力っていうのは本当に大きいなと感じています。

「敵じゃない大人」を目指して

池田 頼れる大人が大事というお話でしたけれども、頼ってもらいたいけれどうまくいかないこともありますよね。周りの人を敵だと思っている子どもたちも多いなか、宇野さんは信頼関係を築いていく上で気を付けていることはありますか?

宇野 最近、10代後半の女の子と話していて、とても簡単な言葉を知らないことがありました。「一泊二日の一泊ってどういう意味?」とか「分割って何?」とか。知らない言葉を聞けないままにきたのです。相手に「知っているだろう」と思って話されているから。例えば、お医者さんに「知らない」と言えるかというと、言えないんです。「何を聞いてもバカにしない」という安心感というか、人に聞けないことでも聞けるような間柄でいること、本当にすぐそばにいてくれる大人でいることが大事だと思っています。

池田 宇野さんからは絶対にバカにしない、決めつけたりしないという安心感がにじみでている気がします。先ほど、ダルクも家族をまるごと支援する方向に目を向けているということでしたが、加藤さんは信頼関係の構築のために、どのような関わり方をされているのでしょうか?

加藤 僕は薬物使用の当事者で、子どもの頃は大人を信じられませんでした。大人から「あなたのお母さんは苦労しているから、大きくなったら親孝行してあげなさい」と言われて、自分という存在が親に負担をかけているのだと、自分を否定するものの見方が染みついてしまったように思います。もう少し大人から違ったアプローチがあれば信用していたかもしれないですが、人を信用できずに薬を信じていきました。薬って合理的なんですよ。短時間で、限られたスペースで自分を変えることができる。人と話したりスポーツで達成感を得るというのは、時間もかかるし、たくさんの人が関わって初めて癒されます。子どもの頃に、そういった体験をする機会が少なかったんですね。親は、僕がおとなしいときは放置して、問題を起こしたときだけ関わってくる。そうではなくて、楽しく何かに没頭したり、良い体験を一緒にしたりすることが大事です。村上さんの西成のお話にあったように、両親でなくても地域の大人がポジティブな環境で関わっていくことで、自分のことを話したり、話さなくても変わっていけたり、そんなふうになれば良いと思います。

加藤 ダルクには、僕が自分の体験を話す前に、自身の体験を話してくれる人がたくさんいました。その体験談をたくさん聞いて、自分に何が起きていたのかということを理解して、そして言葉として出せるようになっていきました。最初は話していても涙が出てきたり、声が震えたりしていましたが、少しずつ整理がつけられるようになって、今があります。だから、僕が関わっていくときには、自分自身が当事者として体験を語っていくことで、「僕と一緒だ」と思ってくれる人がいたらいいなと思っています。僕が子どもの頃に苦しんでいたことと同じような苦しみを抱えている人たちに出会って、手助けをしていきたいですね。子どもたちが変わってくれるといいけれど、まずは依存症を持った大人たちが変わってくれたらと思って活動しています。

池田 大切なお話をありがとうございます。子どもにとっては自分のありのままの声を聞いてくれる大人の存在はとても大きいと思います。そもそも、自分のことを話したら皆で安心しあえる社会ってすごく素敵ですよね。今までのお話を聞いて、村上さんはどう思われますか?

村上 今の加藤さんのお話のなかに、語りだすことの大事さと語り始める難しさというのがありましたが、その前の「聞く」という経験が語るきっかけになっていると思います。以前、虐待してしまったお母さんたちのグループワークの調査をしたときに、彼女たちも仲間の話を聞いていくうちに、だんだん自分の話ができるようになったとおっしゃっていました。話すことは大事だし、そのためには誰かの話を聞けるというのがとても重要だなと思います。

村上 宇野さんのお話を聞いて思い出したのは、川崎市のこども夢パーク(※)の前所長である西野博之さんの言葉です。「大人は敵じゃないって示してあげたい。仲間でもないし、受け入れてくれる大人でもなくて、とりあえず『敵じゃないこいつは』って子どもから思われるかどうかがすごく大事」というようなことをおっしゃっていました。また、僕が西成でお会いする、子ども家庭支援員のスッチさんも「私は敵じゃないっていうふうに思ってもらえたらいいな」と言っていて、宇野さんの「分からないことを聞ける、バカにしない」というのも近いですよね。こういった関わり方って、そんなに敷居が高くないと思うんですよ。全部を受け入れられる大人になるのは大変かもしれないですけれど、「敵じゃない」くらいのところは目指せるかなと思います。

※こども夢パーク:神奈川県川崎市にある、子どもの居場所・活動の拠点となるように作られた施設。2022年には施設の3年間を追ったドキュメンタリー映画「ゆめパのじかん」が公開された。

池田 「敵じゃない関わり」だったら、私たちも頑張れるかもしれないですよね。先ほど加藤さんが、薬物は合理的で速いとおっしゃっていたのも印象的でした。今、何かと速くて便利で分かりやすいものが良いとされる世の中で、私たちが目指している世界は真逆かもしれません。それでも、そこに社会的な資本を投資して、皆で良い社会を作っていけたらいいですね。

さまざまな立場から支援のあり方を議論

パネルトークのあとは、10の班に分かれてグループディスカッションを行いました。地域で支援活動をされている方、看護師や助産師などの医療者、教育関係者など、多岐にわたる職種の皆さんが自由に議論しました。

のぞみさんのケースについてどのように支援をしたら良いかの話し合いはもちろん、異なる職種同士、日々の支援について気になっている点を意見交換するグループもありました。ディスカッションの一部をご紹介します。

●現在ののぞみさんに何ができるか
・今、のぞみさんと出会っても表面的なアドバイスしかできないかもしれない
・何度も瀉血を繰り返していると家族も嫌になってきて、さらに関係が悪くなるのでは
・10年前に何か支援ができていたら良かった

●10年前ののぞみさんに何ができるか
・学校現場から支援できれば良かったが、母の帰りが遅く、学校からのアプローチは難しいと思う。ご近所さんとして何かできることを考えたい
・母もACEサバイバーの可能性はないか? 母への支援を考える必要がある
・母の勤務先がブラック企業では。ただ、10年前はありふれた話だったかもしれない
・近所の竹内さんは良い人のように思える。一方、彼女もシングルマザーで孤立していたのかもしれない

●二次予防ではなく一次予防が必要では
・虐待を見つけるのは二次予防にあたる。虐待の発生を予防する一次予防が大切ではないか
・フランスでは虐待ではなく「心配」と言う言葉を用いて、子どもが心配な状況だと判断したら通報する仕組みになっている。本当に支援が必要な家庭には、こども専門裁判官が命令して、エデュケーターと呼ばれる児童保護専門の国家資格を持った人が支援に入ることもある。日本もこういった一次予防の制度を充実させるべきではないか

●雑多な大人と出会う機会があれば良いのではないか
・ケアしてほしい人ばかりではなく、不条理と闘いたい人や、現状維持に必死で介入してほしくない人など、多様な考えや状況の人がいる
・目的に応じてつながり先を決めがちなので、雑多な大人が雑多な社会を作って、さまざまな人と出会えるようになったらいいのではないか

ディスカッションのあとは、ご登壇いただいた4名のゲストの方々に感想をうかがいました。

三谷 グループディスカッションでは、日々の業務のあれこれ、難しい点、希望に思える点など、さまざまなお話を伺うことができました。皆、色々な思いを抱えながら支援に携わっておられるのだと改めて感じました。このような機会をいただいたことは、私にとって大きな学びになりました。

宇野 私のグループでは、のぞみさんの10年後に出会う可能性がある人もいれば、生まれたときに出会っているかもしれないという人もいました。立場が違うと、のぞみさんに出会うタイミングが違うというのが、すごく新鮮でした。でも、目指すゴールは同じで、「こんなしんどい状況になる前になんとかできないのかな」という思いを共有できて、とても刺激になりました。

加藤 ディスカッションで、「無力を感じる」という意見がありました。でも、それでいいと思うんです。無力だからこそ他の人に助けを求めたり、ネットワークを作ったりできるのではないでしょうか。もう1つ、当事者にとって支援者は、通りすがりに出会ったどうでもいいような存在でしかないと思うんですよ。支援者だと思っていないわけです。当事者から「この人は敵じゃないな」「安心できるな」と思ってもらえて初めて支援者になるんですね。ですから、なるべくそういうスタンスで子どもたちに出会って、雑多な大人として、通りすがりの1人として、まずは話を聞いて支援していけば、この人は敵じゃないなと思ってもらえれば支援者となり、子どもたちも変わることができるのではないかと感じました。

村上 僕はグループディスカッションで、学校の先生と外国の方を支援している方とお話する機会をいただきました。こんなふうに、色々な場所にいらっしゃる方と出会うことは本当に大事だと思います。こういった形で出会いの場を作られているというのはとても素敵なことですし、これからも盛んに活動していただきたいと思いました。普段の活動のなかでも、さまざまな人とつながる機会があればさらに良いですね。

最後に、社会技術研究開発センター(RISTEX)の有末賢さんと石井光太さんに、当日の感想と激励のお言葉をいただき、グループディスカッションは終了となりました。

ディスカッションのあとは、お茶会が開かれ、おいしいお茶とお菓子をいただきながら、ほっと一息つく時間を共有しました。

参加者の皆さんは自由に席を移動しながら、ディスカッションでは別のグループだった人とも積極的に交流されていました。

笑顔がこぼれる温かい雰囲気のなか、2回目の「おてらでトーク」は無事に終了しました。

ご登壇いただいた4名のゲストの方々、京都だけでなく全国各地からご参加くださった皆さん、ありがとうございました。講演とパネルトークでも言及いただきましたが、普段は別々の場所で支援に携わっている人たちが「つながる」機会は、息の長い支援を続けるために必要不可欠だと感じます。来年には3回目の「おてらでトーク」開催を目指して、これからもKYOTO SCOPEは医療と支援の現場をつなぐ活動を続けてまいります。

 

執 筆:ヤグチサトコ
撮 影:坂下丈太郎
編 集:高木大吾